1981年当時のOA機器と未来予想
この雑誌には、もっとミクロの視点で、将来開発されるであろう、電子デバイス類もイラスト付で紹介されている。
1881年当時のものと比較してみたい。
1981年といえば、ネオおっさんが就職した年であるので、鮮明な記憶がある。
 当時は、そう、パソコンという言葉がなく、「マイコン」と呼んでいた。
やっと、左の写真のような、基盤むき出しのマイコンが組み立てキットとして
商品化されて販売された頃だった。
組み立てキットを横目で見ながら、文科系の学生だったネオおっさんは、就職していった。
会社に入ると、それでもいろいろなOA機器が存在した。
コピー機はゼロックスのようなものは貴重品で、もっぱら「青焼き」という湿式の感光紙で取っていた。
手書きの現行の下書きを感光紙と一緒に重ねて、コピー機のローラーに流し込むと、半乾きの湿った感光紙に印字される仕掛けだ。
鉛筆の下書きの文字の筆圧でコピーの品質が左右されて、上司に怒られた。
プレゼンテーションには、オーバーヘッドプロジェクタという幻灯機を使って、
透明なシートにマジックインキで書いた文字を投影して行っていた。
ファクシミリはあった。
当時、ファクシミリは1枚あたりの課金が高価だった。
ある日、
本社から私の勤務する工場へ「原価表を30枚送信して欲しい。」という要請があった。
わたしは、上司の指示で、30枚をセロテープでつないだ。
それから受話器をとり、「こちら本社です。送信してください。」という案内を聞いた後、
30枚をつないだ長い紙を手でたぐりながら、延々送信したことを憶えている。
受信側のファクシミリもロール紙だったろうから、巻物のような原価表が
吐き出されたと思うと、笑ってしまう。
海外とのやりとりはテレックスというものだった。
輸出担当者の名刺には、電話番号の横に「テレックス」という文字があり、
かっこいいなあ、と思っていた。
ワープロは本社に2台だけCANONの据え置き型のものがあり、
専門のオペレータ(つまり元々は和文タイプ)の女性がいて、
「手書き原稿の清書マシン」として入力していた。
左が近未来のパソコンである。
違和感が無い。
すばらしい精度の予想である。
次にポインティングデバイス。
当時からこういう発想があったことは、脅威に値する。
だって、84年ごろまでは、パソコンといえばMSDOSのソフトで動いていたから、マウスですら、使える用途は無かったのだから。
これもびっくりである。
左がデジタルカメラの想像図である。
デジタルカメラをパソコンの周辺機器として予想している。
82年ごろ、やっとデジカメの原型「フィルムのいらないカメラ」が登場したが、普及しなかった。
90年代後半に実用化されたから、ここでもこの予測は当たっていることになる。
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