ヘナチョコなマスコミ 19

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1981年当時のOA機器と未来予想

 

この雑誌には、もっとミクロの視点で、将来開発されるであろう、電子デバイス類もイラスト付で紹介されている。

1881年当時のものと比較してみたい。

1981年といえば、ネオおっさんが就職した年であるので、鮮明な記憶がある。

1979年発売のマイコンキット

 

当時は、そう、パソコンという言葉がなく、「マイコン」と呼んでいた。

やっと、左の写真のような、基盤むき出しのマイコンが組み立てキットとして 商品化されて販売された頃だった。

組み立てキットを横目で見ながら、文科系の学生だったネオおっさんは、就職していった。


 

会社に入ると、それでもいろいろなOA機器が存在した。

 

1982年発売のワープロOASYS

コピー機はゼロックスのようなものは貴重品で、もっぱら「青焼き」という湿式の感光紙で取っていた。

手書きの現行の下書きを感光紙と一緒に重ねて、コピー機のローラーに流し込むと、半乾きの湿った感光紙に印字される仕掛けだ。

鉛筆の下書きの文字の筆圧でコピーの品質が左右されて、上司に怒られた。

 

プレゼンテーションには、オーバーヘッドプロジェクタという幻灯機を使って、 透明なシートにマジックインキで書いた文字を投影して行っていた。

 

ファクシミリはあった。

当時、ファクシミリは1枚あたりの課金が高価だった。

ある日、 本社から私の勤務する工場へ「原価表を30枚送信して欲しい。」という要請があった。

わたしは、上司の指示で、30枚をセロテープでつないだ。

それから受話器をとり、「こちら本社です。送信してください。」という案内を聞いた後、 30枚をつないだ長い紙を手でたぐりながら、延々送信したことを憶えている。

受信側のファクシミリもロール紙だったろうから、巻物のような原価表が 吐き出されたと思うと、笑ってしまう。

 

海外とのやりとりはテレックスというものだった。

輸出担当者の名刺には、電話番号の横に「テレックス」という文字があり、 かっこいいなあ、と思っていた。

 

ワープロは本社に2台だけCANONの据え置き型のものがあり、 専門のオペレータ(つまり元々は和文タイプ)の女性がいて、 「手書き原稿の清書マシン」として入力していた。


近未来のパソコン

 

左が近未来のパソコンである。

違和感が無い。

すばらしい精度の予想である。


 

近未来のパソコンに接続するポインティングデバイス

次にポインティングデバイス。

当時からこういう発想があったことは、脅威に値する。

だって、84年ごろまでは、パソコンといえばMSDOSのソフトで動いていたから、マウスですら、使える用途は無かったのだから。


 

近未来のデジタルカメラ

これもびっくりである。

左がデジタルカメラの想像図である。

デジタルカメラをパソコンの周辺機器として予想している。

82年ごろ、やっとデジカメの原型「フィルムのいらないカメラ」が登場したが、普及しなかった。

90年代後半に実用化されたから、ここでもこの予測は当たっていることになる。

 


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