ピョンヤンの遊園地
小田実が北朝鮮で「家族」に再会する。
私には「北朝鮮」に「親類」がいる。
日本からまだ高狡生のときひとりで「帰国」した「人生の同行者」の姉さん一家と、こちらのほうも日本からの「帰国者」だが彼女の遠縁の親類がいて、姉さん一家は東海岸の元山に住んでいる(注:北部の環境が厳しい都市)のだが、遠縁一家のほうは幸いにもピョンヤン市内のアバートに居をかまえている。
主は街の写真館の主任で、妹さんは音楽専門学校のビアノの先生、弟二人も仕事を持って、年とったオモニ(母親)とともにみんな仲良く4DKのアパートに<らしている。
「人生の同行者」の姉さん一家もピョンヤンに出て来てそこに泊まり込み、私も一夜泊まりに出かけたのだが、 小さな子供をまじえての一夜は、手づくりの御馳走と人参酒と日本酒(これは私が持参した)と歌と踊りの一夜だった。 姉さん一家の子供(つまり、私のメイとオイだ)は、一番上が女で十八歳の師範大学のピアノ科の学生、次が男の子で十六歳、これは兵隊さんに志願するといきまいていたが(「北朝鮮」では、兵役は義務制ではない)、さてどうなるか。三番目も男の子で十三歳、これは数学者になりたいという。しかし、たしかつい二、三年前にはバレエのダンサーになりたいと言っていた。
翌日、小田実は、帰国者の家族たちと例の「遊園地」へ出かける
総勢十五人がザコ寝した翌日は、遊園地にジェット・コースターに乗りに行った。
ピョンヤンの市内、郊外にはそういう大きな遊園地がい<つもあるのだが、そのひとつでジェット・コースターに乗った。いや、そのまえに「ゲーム・センター」のようなところで、パチンコ、インペーダー、もぐら叩きなどいろいろやって、それからいよいよジェット・コースターに乗ったのだが、ジェット・コースターの乗り場のプラット・フォームに軍帽がいくつかおいてあった。
何ごとならんといぶかしむ私の眼のまえにひとまわりを終えたジェット・コースターが戻って来た。
休暇で遊ぴに来ている若い兵隊さんが何人か乗客のなかにいて、彼らは帽子が飛んでしまうことをおそれてプラット・フォームに残して行ったのだ。ジェット・コースターがとまるとすぐ、彼らは慌ててプラット・フォームの軍帽を取り上げてちょっと照れたように笑いながら頭にかぷった。(終)
言うまでも無いが、ゲームセンターのインベーダゲームその他はすべて日本製だ。
だいたい軍人が、軍服を着たまま、ジェットコースターに乗って遊ぶのか?
関川夏央さんのルポにもあるが、
この遊園地は外国人のための見世物だ。
普段は営業しておらず、外国人観光客がやってくると、
「観客」として「動員」された人間が、おもむろに遊びはじめる。
結局、小田実にしてこの程度の体験に基づいてしゃべっているだけだ。
やったことといえば、
中国から北朝鮮まで列車で行った。
同席の外国人と英語で話した。
デパートへ買い物に行った。
帰国者の親戚と酒を飲んだ。
遊園地へ行った。
すべてピョンヤンの市内のみ。
北朝鮮の当局者の監視下で観光客なら誰にでもやらせてくれることである。
現地に行っているだけ、推論でものを書く落合信彦よりは上、
金丸信と同程度だともいえるが、
めくそ鼻くそ程度の違いだ。
当時の学生がこんな程度のものをありがたがって読んでいたかと思うと、悲しくなる。
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