言葉へのこだわり
わたしは日本人である。日本語が好きだ。日本語は美しい言葉だと思っている。
「言葉」は日本人にとって、言霊(ことだま)であり、魂がやどるとされている。
日本人ほど、言葉に感情を込める民族はいないだろう。
本来、言葉は相手との情報伝達の手段であり、客観的かつ論理的であればあるほど伝達できる情報は正確で量も多いはず。
ところが、日本人は言葉の持つ「語感」に意味を持たせてしまう。
「まあ、そんなことを言って、縁起でもない。」と忌み嫌う言葉が存在する。
例えば「死ぬ」という言葉。その言葉を繰り返し発しているとそれが本当になるという風に感じる。
病院の病室や車のナンバーに4=死のつく部屋が無かったりする。
キリスト教系の国でも13は嫌われるが、これはユダのエピソードからくるもので、日本語の語感でいう4の発音によるものではない。
ここでは、気になる言葉、言葉の語源について調べてみた。
いろは入門
いろは歌は、日本語の言葉遊びの最高傑作と言える。
弘法大師の作とも言われているが、定かではない。
もう一度、学生時代に還って、詠んでみようではないか。
い ろ は に ほ へ と ち り ぬ る を
(色は匂へど 散りぬるを)
わ か よ た れ そ つ ね な ら む
(我が世誰ぞ 常ならむ)
う ゐ の お く や ま け ふ こ え て
(有為の奥山 今日越えて)
あ さ き ゆ め み し ゑ ひ も せ す
(浅き夢見じ 酔ひもせず)
ご存知の通り、
日本語の五十音を一文字の重複も無く使って、意味を成す歌に仕上げている。
歌の趣旨は、諸行無常の人生観である。
わたしが言いたいのは、無常観の解説ではなく、「ン」を除いた50文字中
ヤ行のイとエ,ワ行のウを除いた47文字を一回ずつ使っているという点である。
このことが現代の日本人、特に標準語を話す方にとって重要だからである。
現代語の50音は、
ヤ行について「ヤ」、「ユ」、「ヨ」の3文字。
ワ行については、「ワ」、「ヲ」の2文字しか表記されない。
つまり、いろは歌では、
「いろはに」の「い」と、「うゐのおくやま」の「ゐ」は同じ音。
「けふこえて」の「え」と「ゑひもせす」の「ゑ」は同じ音として、
旧かな文字まで排除されている。
つまり、現代語では、「ゐ」と「ゑ」は発音と表記からも抹殺されているのだ。
「ゐ」と「ゑ」について、次の考察を読んでいただきたい。
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