本当の豊かさって?
かつてバブルの頃に何かいいことがありましたか?
株や会員権などの財テクで当たった人や一部の金融業界にいた方は別として、
一般のサラリーマンは何の恩恵も受けなかった、いや、それどころか、
特にサービス価格などの物価の高騰や過剰なスペックの商品に踊らされて、
かえって貧困な生活を送っていませんでしたか?
「ゆとり」とは時間と空間の間合いのことを言います。
かつてバブルの頃、外国から、日本の住居は「ウサギ小屋」だと揶揄されました。
世界一の高給取りでも2LDKのマンションをようやく30年ローンで購入する日本人。
そのマンションの価格でオーストラリアではプール付きの豪邸が買える。
東京都の地価でアメリカ2個分が買える。・・・
それは、今考えると、「豊かさ」とは程遠いものです。
つまり、「空間」の広がりが無いこと。
もっとも「ウサギ小屋」というのは、狭いという意味だけではないようです。
ディズニーのアニメ「くまのプーさん」には人参を畑で作るウサギが登場します。
このウサギはせかせかよく働き、整然としたウサギ小屋ではこじんまりとした幸せを大事にしています。
例えば、ハチミツがいっぱい保管してあるとか、家具などの調度品に凝るとか、
そういったウサギに対するイメージを日本人に当てはめたとも言われています。
それは、ロシア人をクマに喩えるような意味もあったのではありますが。
もう一つの豊かさの指標は、「時間」です。
バブルの頃は皆、せかせか忙しく働きました。
いくら残業で稼いでも、使い道が無く、ゴールデンウィーク(たったの10日足らずでゴールデンですよ!)
や年末年始に海外旅行に行き、ブランド品を漁るというせせこましいレジャー・・・。
死海に浮かびながら雑誌を読む外国人からみたら、何と言う貧しい時間の使い方でしょうか。
翻って不況にあえいでいる日本の今を見てください。
年収の5倍で都内に一戸建てが買えるし、リストラされれば時間は使い放題。
ワークシェアリングなんて言葉も使われています。
バブルの頃よりゆとりができたと言えませんか?
激安生活の薦め
ただし、物が安くなるということは、いずれ給料も(既になっていると思いますが、そんな比ではなく)安くなる。
将来に備えて、物は激安で買いたいものです。
わたしが実践していることは、まだまだ甘く、経費節減のためにもっと凄いことをやっているという方もおられるでしょう。
でも、激安にも「ゆとり」が必要です。
激安でせかせかしていたのでは、何のための節約かわかりませんから。
わたしの実践する激安生活は、生活レベルを落とさずにいかに豊かな気持ちになるかということです。
例えば、節約で浮かせたお金で馬券を買って大損することもありますが、
そういう散財ができるためにもやっているのです。
激安生活は楽しくやらなければ意味がありません。
中高年の皆さん、大いに激安生活を楽しみましょう
関西人の感覚
わたしは関西とは縁もゆかりも無い人間です。
特にあのどぎつい関西弁はあまり好きになれないのですが、関西人の持つ合理精神というものには共感を覚えます。
東京人は、自分の買った品物がいかに高価だったかということに満足を覚えるようですが、
関西人は、自分の買った品物がいかに安かったかを自慢します。それがブランド品のバッグであってもです。
ものの価値は価格ではないのであって、同じ品物・機能なら安いほうがいいに決まっています。
つまりコストパフォーマンスがいいということです。
もうひとつの違いは、店頭における東京人と関西人のスタンスの違いです。
店から提示のある価格、いわゆる値札についてのスタンスがまず異なります。
東京人は、まず、値札を見てそれが自分が払うべき金額だと考えます。
値札の元値が斜線で消してあり、「さらにお安くします」という言葉があると、
店員に「いくらになるの?」と聞くのです。
これでは主導権はまだお店側にあるということです。
一方、関西人は、値札の価格を「交渉の寄り付き値段」と考えるのです。
値札の斜線は関西人にとって関係ありません。
自分の頭の中ではとっくに斜線を引いているのです。
売る側が提示する、「小売希望価格」に対して、
関西人の頭の中には「購入希望価格」が存在するのです。
八百屋などで、一山いくらの果物を見て、
隣の見知らぬ主婦と半分づつお金を出し合って、分けるというのも非常に合理的です。
よく、関西人は「シブチンとケチは違う」と言いますが、その通りです。
「シブチン」はお金を出すべきところでも出さない反社会的な行為をする節約家のことです。
破綻した都市銀行の幹部はさしずめシブチンでしょう。
関西人の「ケチ」を見てください。特にディズニーランドで贅沢なホテルに泊まって豪遊する姿を。
関西人の合理性には頭が下がります。
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